[読書メモ]『シャーロッキアン翻訳家 最初の挨拶』

p7
アーサー・コナン・ドイルの一家は「コナン・ドイル」という複合姓

p7
アーサーの父の代やきょうだいの一家は、「ドイル」が姓です。

p9
シャーロッキアーナ・・・・・・シャーロッキアンたちによる研究、およびその産物である作品など。

p14
ホームズ物語の魅力を十分にかつ効率よく引き出しているのは短篇であり、それはホームズ以外のミステリにも共通するのである。

p15
子供のころに違和感なくホームズ物語にわくわくし、大人になって時代背景が飲み込めてきたとき、あらためてその魅力を感じ取るという、二度の楽しみが提供されたのも、大きな原因だと考えられる。

p17
笑うかもしれないが、ホームズ研究家たちは大まじめなのである。

p21
注釈付き全集はこれまでもウィリアム・ベアリング=グルードのもの(ちくま文庫)とオックスフォード大学出版局のもの(河出書房新社)があったが、前者はシャーロッキアンによる注釈、後者はドイル研究者による注釈という、それぞれの特徴があった。

p26
そこに特別な意味合いを見出そうというほどではないが、この 1975 〜 77 年あたりが日本のホームズ・シーンにおけるエポックメイキングな時期であったことは、確かだと思う。

p28
浸透と拡散

p42
特に日本人はクリスマスが好きなせいか(私も実は隠れクリスマス・ファンだ)、かつて拙訳で出たパスティーシュ・アンソロジーの中でも、クリスマス・テーマのものが最も売れ行きがいい。

p56
雑誌に連載された当時のベストセラー作家 24 人(男女半数ずつ)による連作で、全員が互いに相談することなくひとつの長編を書き継いでいくという実験小説だ。

p59
短篇アンソロジー

p69
そもそもヴィクトリア時代では__特にちゃんとした教育を受けた男たちのあいだでは__友人でもファーストネームで呼び合うことは珍しかったという事実による。

p72
われわれは恐ろしく大量のホームズ・パロディに囲まれて暮らしているのだと言っても、言い過ぎではないだろう。

p73
スプーフ(茶化し、もじり)やパロディ(諷刺・嘲笑的なもじり)、バーレスク(おふざけ、茶番、戯作)

p78
知恵袋的存在

p82
日本では日本語への翻訳権が 1990 年に切れたことで、『事件簿』を含む正典全ての翻訳がフリーとなり、全集の刊行が容易になった。

p91
ひとつは、”翻案(アダプテーション)” と呼ばれるものだ。[…]翻訳業界では “リトールド” などとも呼ばれている形式だ。

p91
もうひとつは、”正典(キャノン)” に対して “経外典(アポクリファ)” と呼ばれるもの。コナン・ドイルが書いたホームズの登場する小説で、正典 60 篇以外の小品__要するにドイル自身が書いた番外編、ホームズ外伝だ。

p92
「書き手がドイルの文体やキャラクター、設定、構成を正確に再現したため、その物語が正典と区別がつかないところまで達したもの」を、シャーロッキアンのあいだでは、”正当派(オーソドックス)パスティーシュ” と呼ぶ。

p107
必ずひどい目に遭うのがわかっていながら、つい手を出してしまう相手・・・・・・というと何やら『ルパン三世』の峰不二子のようでもあるが

p115
第一、日々記憶が衰えていく老人たちが、そんな自滅的なことをするだろうか

p116
すべての人が自分なりのホームズ像(イメージ)をもっている

p122
その他さまざまな場所での不満を書きつらねていたら、何ページあっても足りはしないだろう。

p122
ホテル・レストランのウェイトレス(20 歳前後に限る)の笑顔などは印象的であった。

p124
シャーロッキアンならずともミステリファンなら、現地の書店や古本露店に行くことは、旅の必須項目。

p125
寝ているうちに人数が減るというミステリもなく、サンクト・ペテルブルクに無事到着。

p170
些細なことほど重要である、というホームズの言葉を忘れてはならない。

p173
<美しき自転車乗り>のヴァイオレット・スミス、<ぶな屋敷>のヴァイオレット・ハンター、<ライオンのたてがみ>のモード・ベラミーなど、理知的でしっかりした性格の女性は、ホームズのお気に入りだったことが正典からわかる。物語の大半がワトスンの記述になるため、彼が女性を褒めちぎっている部分がかり目立つが、それを差し引いて考える必要があるだろう。

p175
礼儀作法に厳格なあの時代では、親友でも名字の呼び捨てまでで、ファーストネームで呼び合うことは少なかったというのだ。

pp183-184
多くの翻訳者の人生は、むしろ「調べもの人生」なのではなかろうか。

p211
プロの翻訳家であれば、読者がピンとこない英語慣用句をそのまま使ったり、”原文が透けて見える訳” をすることは、避けようとするからだ。

p220
「筆者の深層心理」を持ち出す方もいるかもしれませんが、個人的には「ドイルはこう書いたはず」より、「ホームズの立場からしたらこうなるはず」という解釈のほうが、ぼくとしては好みです。

p230
要は後生の人たちの料理のしかたしだいというところか。

p237
通常のミステリ小説は、20 〜 30 年で改訳が必要になると言われる

p241
翻訳はガソリンと同じで、一見腐らないように見えて実は腐る。

p252
注釈は原文に付いていて、その原文をとりあげて説明するわけだから、原文に忠実な訳文がなければ、注釈がわかりにくいものになってしまう。

p256
かつて、書誌学者の新井清司は、「日本の読者はイギリスやアメリカの読者と違って、いろいろな訳者の翻訳や翻案を楽しめるという特典がある」という意味のことを言った

p263
「高等遊民」的な存在

p263
事件がないとすぐ「退屈だ」と言い始める

p265
彼にとって死ぬ三年前までホームズものを書き続けることは、一種の義務だったのかもしれない。

p269
シェイクスピア訳者の松岡和子氏が「耐久年数切れ」と表現し、田口俊樹氏が「翻訳の賞味期限」という言い方をした問題は、どこへいってしまうのだろうか。

pp282-283
ホームズ信奉者

p286
ホームズ、切り裂きジャック、ドラキュラ伯爵の三人を「イギリス 19 世紀末が生みだしたサブカルチャーの三大スーパースター」と表現したのは、日本におけるリッパロロジーの第一人者、仁賀克雄氏だった

p286
切り裂きジャック事件を扱えばイースト・エンドのどん底世界、娼婦の姿、陰惨な検視解剖記録などを扱わなければならず、それをドイルが避けたことは理解できる。

p288
“ファクション”(ファクトとフィクションの融合)

p296
シャーロッキアーナは学位をとったり名を売ったり、金儲けをしたりするのが目的のものではありません。

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