[読書メモ]『ドイルとホームズを「探偵」する』

p4
子どものころのように筋書きだけを夢中に追うのではなく、大人としての心の余裕をもってゆっくり読んでみると、登場人物たちのあいだの微妙なやりとりや、心理合戦のような駆け引き、また事件をとおしてかいま見るヴィクトリア朝時代の世相とか価値観にまでも目配りがきくようになるからだ。

p29
ヴィクトリア朝時代は、まともな職業は男性にほぼ独占されていたので、女性の知的職業といえば、せいぜい「家庭教師」ぐらいしかなかった。

p31
息子のドイルが自伝的小説『スターク・マンローの手紙』の中で描いた母親メアリは、小柄だが、緊張感にあふれ、何事もこれと決めたらやり通すという、勝気で、ガッツの持ち主だった。

p37
当時、酒を飲むこと自体は問題視されていなかったが、それが過度になり、結果として自分自身だけでなく、凶暴になり周囲の人たちに危害を与えたり、意識が正常に戻らなくなるところまで酒乱が進行すると、そういう人は施設に収容してしまうというのが、社会の秩序維持の方法だった。

p38
非常に繊細な神経の持ち主で、粗野な態度で話す人たちと同席した場合などは、立ち上がって席をはずすだけの道徳的勇気を兼ね備えていた[。]

p49
短篇作家は、ストーリー・テラー(物語作者)と呼ばれていた。[…]ストーリー・テラーに対し、本格作家はシリアス・ライター(serious writer)とかノベル・ライター(novel writer)と呼ばれていた。

p49
ドイルは、もともと短篇物が得意だった。というよりは、本格的な長篇物は書いたことがなかった。性格的にもドイルは、プロットを思いつくと詳細にはこだわらず、一気阿成に書き上げてしまう場合が多く、綿密に筋書きをつくり上げてロジックを構成しながら、れんがを積み上げていくというスタイルは不得手だった。

p51
ドイルが選んだのは、探偵小説という比較的新しいジャンルだった。

p59
短篇なら読者も最後まで待てるが、何も事件解決に役立つヒントを与えられず、ただホームズのさっそうたる行動と、独断的な推理についていくのは骨の折れることだと感じる読者も少なくないだろう。じっくりとプロットを考えて、読者にも少しずつヒントを与え、作者といっしょに事件解決をしていると思い込ませる手法は、おそらくはドイルには不向きだったのだろう。

p72
ホームズの甘いマスクは、女性読者のあいだで大好評だったといわれる。

p72
当時は、高級雑誌は全ページが活字の連続であったが、ヴィクトリア朝時代の価値観の中心にあった「健全な家庭」を対象とした大人・子ども全員向けの家庭雑誌においては、挿絵をふんだんに入れて読者の興味を惹きつけることが、販売戦略上、非常に重要だった。

p74
ドイルの筆致がこういうテンポの速い探偵物に向いていた。アイデアがある程度固まると、細部にこだわらず一気阿成に書き上げてしまうドイルの才能は、短篇物でおおいに発揮された。

p90
彼はいかにも紳士らしく、武器を取り出そうとはせず、素手で私に襲いかかり、長い腕で私をつかもうとしたのだ。

p95
ドイルは、こうと決めたら、ただちに、しかも徹底的に行動する男だった。

p99
[日本は]海外からもたらされた一神教的思想までも自分の都合のよいように取り込んで、じつに融通無碍(ゆうずうむげ)な宗教観をつくり上げてしまった。神も仏もキリストもお稲荷さんも、誰でもなんでも自分たちの T・P・O(時・場所・機会)に合わせて心に矛盾を感じることなく、屈託なく相手にしている民族は、おそらく他にはないだろう。

p109
この作品 [バスカヴィル家の犬] は、設定されたプロットも事件の舞台も大きいうえに、いかにもドイルらしいテンポの速さで事件が進行していくので、今日でも人気が高く、ドイルの代表作の一つとして認められている。

p120
「でも女にはいつもわかるんです(But a girl always knows.)」

p127
今でとくに田舎に行けば、何丁目何番地などという無機質な住所表示でなく、自分の屋敷に気に入った愛称をつけるのが習慣になっており、郵便屋さんもその屋号だけで問題なく配達してくれる。

p127
女性に目ざといワトソン

p148
「自分はある人たちが主張するような国際親善効果をスポーツが持っているとは決して思わない」

p149
ジョン・ブル魂(日本の「大和魂」にあたるイギリス人気質)

p173
私もあるとき、女性の顔面のしわを除去するアメリカのレーザー手術のプロモーションフィルムを見る機会があったが、術後に大写しになった彼女の婉然(えんぜん)と微笑む顔を見た瞬間、神の御加護を! と願わずにはおれなかった。私の素人目には、このような手術はホームズの言葉を借りれば、「自然の摂理を越えたもの」に映ったからだ。

p174
厳重に身体を縛りつけた鎖などの拘束具の中から、不可能と思われるような脱出に成功するエスケイピスト(抜け業師。脱獄者ではない)

p190
私はドイルが偉大な人物であったとは思わない。ただ、彼は「愚直」に自分の人生を歩み続けた男だった。現代の不確実性に満ちた、将来への明るい展望に掛けた、閉塞的な状況の中で生きる私たちにとって、ドイルの人生は、小さいが、凜として輝く一条の希望の灯をともしてくれるのではないだろうか。

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