[読書メモ]『詳注版シャーロック・ホームズ全集 (9)』

p15
正典中の 60 の物語の中では2つ__「マザリンの宝石」と「最後の挨拶」__が三人称の形で語られている。この2つの物語の作者が誰であるかかについては、多くの議論がある。マイクロフト・ホームズが書いたものだと言う者もあり、第2番目、あるいは第3番目のワトソン夫人であると言う者もあり、さらにサー・アーサー・コナン・ドイルであると主張する者もいる。別の解釈家の見解によれば、ここでのワトソンの言葉を正しく解釈すれば、当然一つの結論しかあり得ないこととなる。すなわち、2作ともほかならぬワトソンの作である、と。

p65
いいかね、筋が通っていることが大事なのだ。筋が通らないところには、欺瞞があるのだと疑ってかかる必要がある[。]

p96
『等々(etc.)』という言葉には、教育界ではよい言葉とは考えられていない。普通『それ以上は知らない』とか『あとはどうでもよろしい』といった意味を含んで用いられるからである。

p116
自転車というのはそう簡単に隠したり壊したりできない代物ですからね。

p140
他の事実については口にしないのが彼のやり方だった。

p250
首相を務めた人はその職を辞すにあたって功績のあった友人や支持者を叙勲(じょくん)することがしばしばある。

p307
何が危険な人種だと言って[…]友達もなく、あちこち流れ歩いていく女性なんかその最たるものだ。

p321
おいとま乞い

p323
格闘には場数を踏み、ひけをとったことのない私だったが

p346
『理のある喧嘩なら、力も3倍』というじゃないか。

p346
さあて、ワトソン、今までもちょくちょくやったみたいに、二人で運だめしといこうぜ[。]

p461
ホームズという男はお世辞にはめっぽう弱い方で、おまけに、公平に見て優しさにも弱い男であった。

p488
何が得られるかだって? ワトソン、芸術のための芸術って奴さ。

p488
「自分の教育のためだよ、ホームズ」

p509
あなたの言葉が証拠として使われることもありえます。[…]ここでホームズがよく推理小説作家たちが好んで使うように「不利な証拠として使われる」と言わず、正しい言い方をしていることに注目したい。

pp530-531
我が善良なるワトソンは当時私を捨てて結婚していたわけだが、彼が自分勝手な行動に出たのは、われわれのつきあいを通してあとにも先にもこの時だけであった。私は一人ぼっちだった。

詳注版 シャーロック・ホームズ全集〈9〉 (ちくま文庫)
アーサー・コナン ドイル
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