肩書きがないのがホームズの魅力

私は学生時代にイギリスに留学しました。ある女性教員が「私は大学院の博士課程まで行ったので Dr ○○○ と呼んでください」と言っていました。

日本だと博士課程に行った人の名前に「博士」とわざわざ付けて呼ぶケースは少ないと思います。イギリスってそれぐらい肩書きが大事なのかと驚いた覚えがあります。なお、その後そのイギリス人の先生はファーストネームで呼んでいいと言っていました。

海外の博士課程は日本とは比べ物にならないぐらい厳しい世界らしいので、それをくぐり抜けた人は博士と呼ばれて尊敬されるのは当然なのかもしれません。

肩書きといえばワトソンは医者なので Dr Watson と呼ばれます。原典で Mr Watson と呼ばれることは一度もありません(電子書籍の原書ホームズ全集を全文検索して確認しました)。私の留学中の先生同様、ちゃんとした肩書きがある人は肩書きをつけて呼ぶというのは、社会的ルールなんでしょう。そういえば、海外の映画やドラマで、肩書きを付けて呼ぶよう促すシーンを時々見かけます。

こういうことに気付いてからは、特に外国人あてにメールを書いたりする時は相手に肩書きが必要かを十分に調べるようになりました。

日本で肩書きへの意識が薄いのは、「先生」という便利な言葉があるからかもしれません。とりあえず、目上の人、地位の高い人、何かの専門家は「先生」と呼べば間違いない__そういう習慣があります。面白いのは「先生」は、「目上」や「地位」という相対的基準であるところです。一方、英語の肩書きは絶対的な地位や役職に対して呼ばれるものです。日本語の敬語と関係しているんだと思います。

グラナダ版ホームズの吹き替えでは、ハドソン夫人が「ホームズ先生」と言っていました。英語では Mr Holmes です。ほら、日本語だと、絶対的地位や役職に関係なく、目上の人や専門家を「先生」と呼ぶ例がここにも見つかりました。(私は学生時代の専攻は言語学でしたので、こういう話を展開し始めると長くなりそうなので、この辺でやめておきます。)

さて、シャーロック・ホームズは Mr Holmes と呼ばれているように、肩書きがありません。客観的な肩書きで呼ばれるような地位や役職にはついていないのです。単に「世界で唯一の諮問紋探偵」を自分で名乗って仕事をしているだけです。なのに、警察でも解決できない事件を解決したり、社会に価値を提供しています。

これって素晴らしいことだと思います。自分の価値は自分で決める。そして実際に価値ある人間になっている。それがホームズなんです。

我々はどうでしょうか。学校でも会社でも社会でも家庭でも、周りの人の評価ばかりを気にして、自分で自身の価値を見出せない人が多いと思います。そういう自己評価が低い人が自分の能力を十分に発揮できるとは思いません。

私は学問としては修士課程までしか行っていないので、学問の世界で「博士」と呼ばれる資格はありません。仕事は、比較的安定な職種のサラリーマンを辞めてフリーランスになりました(「サラリーマン」も日本では強力な肩書きです)。まさに肩書きなしの人間です。だから、ホームズの「自分の価値は自分で決める」という精神に勇気付けられるのです。

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