[読書メモ]『シャーロッキアンの放浪三昧』

p11
百年という尺度で現在を眺めると、人間の社会というものがいかに変わったか、あるいは人間とはいかに変わらないものであるかということが、よきにつけあしきにつけ、ホームズの拡大鏡で見るようにはっきりと映し出されているのだ。

p11
ホームズの世界の謎や魅力についてはすでに多くの諸先輩によって語り尽くされているので、新たな発見の余地などないものと思っていたが、そうではない。そこにはほとんど無尽蔵と思われるほどの謎と魅力が詰まっていて、定年退職後にホームズの世界に足を踏み入れた筆者は、それこそ本書の題名のとおり「放浪三昧」を尽くしても、なお尽くしきれないほど奥が深いことを知った。

p23
スタンフォードはホームズに「こちらワトスン博士 (Doctor Watson)」と言って紹介しているので、ホームズにはその時点でワトスンが医者であることがわかったはずなのである。

p23
これはまだホームズがワトスンと知り合って間もないころのことだったので、ワトスンがメモ魔であり、事件記録をきわめて詳細にまとめる才能を持っていることをホームズは知らなかったということがある。

p27
《オレンジの種五つ》(冒二〇八)でホームズは、「そういう[推理の]技術を駆使するためには、知り得た事実を残らず活用できるようでなくてはならない。それはどういう意味かというと(略)推理するためにはあらゆる知識を身につけていなければならないということなんだ。これは自由教育が盛んになって百科事典の普及した現代でも、なかなか難しいことではあるが、自分の仕事に役立ちそうな知識をすべて身につけるということなら、あながち不可能でもない。ぼくはそれを目指そうと努力してきた」

p28
ヴィクトリア朝期といえば、知識の獲得が何よりも高く評価された時代

p30
特定の性状や機能を持つ物質を化学合成によって創り出すには、ただやみくもに異なる物質同士を混ぜ合わせたり化合させたりするのでは、その組み合わせは無限にあり、すべてを実験することは不可能だが、もし仮に既知の事実から、これとこれを反応させればこうなるはずだということを理論的に推測し予見しうるならば、実現の可能性のある有限個の仮説を立て、その仮説を一つ一つ実験によって確かめていくことができる。そして期待に反する実験結果を消去していき、予想した結果が得られるまで実験を繰り返していけばよい。優れた仮説ほどそのなかに真実が含まれている可能性は高く、予想どおりの実験結果が出ればその仮説が真実であると証明されたことになる。

pp52-53
これらの互いにあまり脈絡があるとは思えない雑多な知識の集積はホームズの本来の仕事に大いに役に立っていたので、実際どこまでが趣味で、どこからが仕事のための知識なのか、その境界が判然としない。/《三人のガリデブ》(事一九六)のなかでホームズは「仕事柄、何でもかんでも雑多な知識が役に立つんです」と言っており、《ライオンのたてがみ》(事三五六)でも「わたしは珍しい知識をそれこそたっぷり蓄えている。きちんと体系だった知識ではないが、私のような仕事にはたいそう役に立つ」と言っている。この雑然とした、かつ膨大な百科事典的知識の集積を身につけることが十九世紀末、あるいはヴィクトリア朝という時代における知識人の理想であり、それが時代の特徴の一つだったのである。

p58
わたしはホームズの知性を研ぐ砥石だった。ホームズの刺激剤だった。ホームズは、わたしの前で声に出して考えるやり方が気に入っていた。そのときの言葉がほんとうにわたしに向けたものだったかは定かではない――ベッドに向けたのと変わりないような言葉ばかりだったからだ。しかし、いったんそういう習慣ができると、わたしが何かしら反応し、言葉をさしはさむことが、多少ホームズの役に立つようになっていた。

p59
《入院患者》(回三一三)という作品が「ストランド・マガジン」に掲載された際のシドニー・パジェットの挿絵に、ホームズとワトスンが親しげに腕を組んで街を歩いているシーンがある。これはヴィクトリア朝時代には親しい間柄の男同士が腕を組んで歩くのが普通だったという事情を知らないと、現代の感覚で見るかぎり「ホームズとワトスンの関係はゲイだったのか?」というようなあらぬ憶測を生み出しかねない。

p60
ホームズとワトスンのあまりの親密さに、名探偵ネロ・ウルフを生んだレックス・スタウトが「ワトスンは女であった」という奇説を唱えたのに対して、シャーロッキアンのジュリアン・ウルフは「ワトスンは女ではなかった」と反論している。

p63
相手の地位がはっきりわからないときや、あるいは第三者がいる前では「ドクター」とていねいに呼ぶのが彼らのならわしなのだそうである。たしかにこの点については、医学博士説をとるラドフォードも前出『シャーロック・ホームズー事件と心理の謎』で、イギリスでは本来科学や文学など万般の教師を指していた「博士」すなわち「ドクター」という高い地位を示す言葉の意味が次第に薄れ、医師の資格を取った人物みんなを「ドクター」と呼ぶことが習慣になっていたことを認めている。

p68
「自分でペンをとってみて初めて、読者を飽きさせないように書かなければならないということがわたしにもわかってきた」

p72
伝統的シャーロッキアンはホームズ物語を「聖典 (the sacrid writings)」(または「正典(the canon)」)と呼び、一部の熱狂的なシャーロッキアンにいたっては、ちょうど敬虔なクリスチャンが『聖書』をそうみなすように、「聖典」は無謬であり、ミスなどありえないという建前を堅持しようとするので、話がややこしくなる。しかし、実際にミスであるものをミスでないように合理的に矛盾を説明しようとする試みには、きわめて柔軟な思考力が要求されるので、かえって知的なゲームとしての楽しみをもたらすというプラスの側面もある。

p77
当時のイギリスの社会では独身の著名人は多く、生涯を独身で通すことがそれほど奇異なことではなかったという時代背景を知っておく必要はある。

p81
『シャーロック・ホームズ――事件と心理の謎』に一つの結論が提示されている。著者ラドフォードは、明らかに間違っていることがわかる場合以外は、書かれているとおりにそのまま受け入れる方針 彼自身はこれを「原理主義」と呼んでいる―――をとっていて、この場合も「ワトスンが二か所を怪我したと言っているのだから、その二か所を怪我したに違いない」と考えるのである。そして「最初は一方の怪我が重いように見えて、実際はもう一方の怪我の影響が長く残ったのではないか」と解釈している。

p89
とくに探偵小説の場合、読者はどこに伏線が敷かれているのかわからないので、登場人物の服装のような細かなところにまで気を配らなければならない。

p90
中世には衣服はそれを着ている人の社会的身分を象徴していたが、中世も後半になると衣服と身分との対応関係が崩れ始め、人々が本来の社会的地位より少し背伸びして「ちょっと上流気取り」をする、いわゆる「スノビズム」の風潮が社会全体に広がった。

p106
彼は紳士たる者の条件として、着るものが目立たないこと、しかも衣服は身体の線にぴったりとフィットしていることを挙げ、みずから洒落者を目指す者には、肥満を避け、中年以降も美しい自然な肉体の線を保つために節制した食生活を要求した。また白いシャツやネッククロスは、しみ一つない純白の生地であること、入浴と下着の取り替えを毎日の習慣とすること、靴を常にきれいに磨いておくことなども紳士としての必須条件の一つとなった。

p107
「ダンディズムの精髄は、ニル・アドミラリ[決して感嘆したり賞賛したり敬服したりしないこと]の姿勢(ポーズ)、(略)いうなれば毒舌の刃をふるって、礼節と巧言によどんだ社交場裡を攪乱し、かえって観客の喝采を博する」ことにあり「完璧なダンディとは、言いかえれば完璧な演技人ということである」と述べられている。

p111
これはアメリカではタキシードと呼ばれるが、ニューヨークのタキシード公園のクラブ会員が会合に揃って着用したのが由来だそうである。

p115
《緋色の研究》(緋四九)で殺されたイーノック・ドレッバーも真っ白なカラーとカフスをつけていたが、たとえ品性下劣な男でも、互いに見知らぬ者同士の都会では、金さえあれば一応紳士であるかのように外見を取り繕うことができた当時の社会――現代もあまり変わっていないが――を象徴的に示している。

p119
狩猟用のブーツをはじめ、テニスシューズや幅跳び用のシューズ、あるいはカンバスシューズなどが出てくるところは、作者ドイルがスポーツ万能だった一面を映し出しているように思われる。

p133
ホームズが活躍した時代の女性にとって、外出するときには帽子が必需品だった。『ヴィクトリア時代のロンドン』〔L・C・B・シーマン、社本時子/三ッ星堅三訳、創元社、一九九五年〕には当時の女性の生活実態について多くの示唆に富む記述があるが、そのなかの一つに、当時のロンドンのいわゆるイースト・エンド、とくにシャドウェルとラトクリフ・ハイウェー沿いの全域で「ボンネットもかぶらずに街をねり歩いて」いる下層階級の女性たちの売春の実態は目を覆うばかりであったという記述があり、ヴィクトリア時代のロンドンでは、帽子をかぶっていない女性がどう見られていたかということを暗示している。

【誤植】
・p72
誤:the sacrid writings
正:the sacred writings
・pp83-84 の引用部分が字下げされていない。

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