ネタバレは問題じゃない

ホームズ関係のツイートを見ていて、ネタバレ関係の議論がありました。

ネタバレ問題についてずっと思っていたことがあるので、僕の考えを書いてみようと思います。このブログは基本的にシャーロック・ホームズ関係の内容に限定していますが、特に推理物は昔からネタバレとは切っても切り離せない関係にあるようなので、一応ホームズと関わることにしましょう。

僕はネタバレを問題視することは意味がないと考えています。

例えば推理小説の場合で、ネタバレは犯人の名前だけではなく、あらゆるレベル(犯人の名前以外のあらゆる情報)でネタバレは存在します。犯人の名前を知ってビックリすることだけが推理小説を読む目的ではないはずです。「あらゆるレベル」がネタばりになり得るのなら、もうその推理小説について話せなくなります。

その物語の内容について言及することだけでなく、誰が言及したが(話者が誰か)によって言説の意味合いが変わってきます。「あの A さんが好きな作品だと言っていた。つまり面白い作品に違いない!」ということだってネタバレと言えばネタバレです。

要するに何がネタバレかと考えると切りがないということです。ネタバレの定義は人それぞれなので、「ネタバレだ」と他者を批判することは違うと思うのです。そしてネタバレを恐れて過剰に自分の発言を制限するのも違うと思います。

ネタバレを問題視する人は、一体何がネタバレなのかを再定義する必要があると思います。たぶんほとんどの人はぼんやりとネタバレという言葉を使っているだけではないでしょうか。ネタバレのことを英語で spoiler(台無しにするもの)と言いますが、実際にネタバレのせいで「台無し」になったことがある経験は人は少ないはずです。

僕は小説以外でも映画やテレビドラマなどの感想をネットで公開することが多くあります(最近は海外ドラマの感想を毎日このブログに書いています)。ネタバレかどうかなんて考えずに自由に書いています。僕は書き手として、読者を過剰に意識するといい文章が書けなくなるという考えなので、”ネタバレ程度のこと” は気にしないようにしています。

本当に面白い作品はネタバレを読んだり聴いたりしても面白いものですし、対象(物語)に興味がある人はネタバレを読んだり聴いたりしたあとでも「自分で確かめてみよう」と思うはずです。

とはいっても、人の感想や意見を知るとそれに引きづられてしまいます。だから、一番の解決方法は、とっとと自分で読む(観る)です。他人に感想を目にする前に自分で読んで(観て)しまう。

僕は Apple の製品発表を楽しみにしているので、自分で発表会の映像を観るまでは Twitter やネットのニュースは見ないようにしています。発表会があったらすぐ自分で映像を観て、その上でやっとネットのまとめ情報を見る、という順番です。自分で映像を観て知った印象と、人の意見を読んだ印象は当然異なります。

映画館で本編の前に流れる予告編でさえネタバレであり、だから観ないようにしている人もいるそうです。その人にとっては予告編も観たくないという考えなのでしょう。映画館に行ってしまえば予告編を観ないようにするのは難しい気もしますが。

最近は映画を観る前に、最初にネットで感想を読んで評判のいい作品だと分かった上で映画を観る人がいると知って驚愕しました。感想なんて観た自分で決めるもので、人に決めてもらうものじゃないのに・・・。<人の感想で語られる物語>と<自分で鑑賞して理解した物語>はまったく別物です。

そういう人たちに対して「リスクを取らない、安全志向になっている」という分析もあるようですが、納得できません。高額な家電商品を買う前にネットのレビューをしっかり読むのなら分かりますが、人の感想で映画に行く行かないを決めることには僕は理解が追いついていません。

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