[読書論] 昔読んだホームズ本の記憶が厄介

学生時代までは図書館で借りたりすることが多かったものの、現在は完全に「本は所持するもの」になっています。

読書記録も 15 年近くきちんとつけています。読了日、タイトル、著者名、評価、本のフォーマット(紙の本か電子書籍か)、ISBN などといった記録です。FileMaker というデータベースアプリを使って記録をしていて、集計やグラフ化なども簡単にできます。

本に書き込みができないタイプなので、読書中に気になった箇所は付箋を貼っています。そして読了後に転記をしています。その「読書メモ」はブログで公開することで自分だけでなく、他の人の役にも立つようにしています。デジタルに転記することで、あとで検索もできます。

こうやって読んだ本は、日付やタイトルのようなメタデータおよび気になった箇所をあとでバックトラッキングできる体制にしているわけです。コンピューターと二人三脚をすることで、「記憶すること」の意味がかつてとは変わっています。

問題は、記録をとっていなかった昔の本です。

ティーンエージャーの頃も本はよく読んでいました。その頃は本は図書館で借りていたので現物は残っていません。

当時は物覚えがいい時期なので、幸か不幸か断片的でも本の内容は覚えていることがあります。

そこで発生するのが、「どこかの本で読んだ気がする。でも具体的にどの本に書かれていたか、根拠は何なのかが分からない!」ということです。

厄介なことに、これはシャーロック・ホームズの関連本でよく起きるのです。

当時はホームズ本を夢中に読んでいましたし、大人になって再び自分の中でホームズブームが起きていることと相まって、昔の読書の記憶がよく蘇ってくるのです。古い本は入手が難しいので、手当り次第探しても再会できる可能性は極めて低いです。

僕は大人になって翻訳の世界に関わったり、本を書いたりしているので、ちゃんとした情報のソースがあるかどうかが大事です。オフィシャルな根拠がないものは安易に言ったり書いたりしたくない体質になってしまいました。

こうして「どこかで読んだホームズ本の断片的知識」に悩む日が続いていきます・・・。

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