[読書メモ]『緋色の習作』

(河出書房新社 単行本)

p5
他の訳者による邦訳では、修正して訳出した訳書もあるが、「間違いにもまた意味がある」との立場から今回はあえてそうしなかった。

p14
広い都会で見知った顔に出会うのは、孤独な人間にはうれしいことだ。

p25
まとまった研究をして、学位を取ったり、学界に入ろうという気持ちはないようだった。

pp25-26
愚かな人間は手当たり次第にガラクタを詰め込むものだから、役に立つ知識を入れる場所がなくなるか、取り入れても他のものとごちゃまぜになって、取り出すことができなくなるのだ。熟練した職人は、何を脳という屋根裏部屋に取り込むかに注意深くなる。仕事に必要な道具だけを取り込んで、分類し、きちんと整理しておくのさ。この小さな部屋の壁は伸縮自在で、いくらでも広がると考えるのは大間違いだ。

p38
二人とも敏捷(びんしょう)で精力的だが、どうしても枠にはまった考え方しかできない。

p68
あれこれ感謝の言葉をもぐもぐ言ってから

p116
子どもから娘への微妙な変化は、ほんの僅かずつ徐々に現れるので、毎日目にしていたのではなかなか気づかぬものだ。

p129
ここの連中はあのいまいましい予言者にぺこぺこしているが、わたしは誰かに頭を下げて生きていきたいとは思わん。

p173
捜査学の分野で、足跡鑑定の技術ほど、重要なのに無視されているものはないね。

p194
ハウスマンとは、インターンに対しての英国での呼び方

p199
自分自身の身体で薬物の効果を試してみる、というのはエディンバラ大学医学部における、最も名誉ある伝統の一つであった。

p218
この時代、敵は擬人化した言い方__例えば「天気の神様」といったような__をするのがごく普通だった。

p223
文学上の慣習として、ユダヤ人は興奮しやすい人物として描かれる傾向にある。

p232
米国においては海兵隊は海軍に属するが、英国では陸軍に属する。

p248
第一次世界大戦の頃までは、男性の友人同士で親愛の情を示すものとして、腕を組んで共に歩くという習慣があった。

pp250-251
ベルにもホームズにも、自己宣伝癖の要素があったことは、既に明らかにされている。

p251
酔っ払いや郵便配達人は、たとえその場に居合わせたとしても、普通の観察では誰もいないことにされてしまうのである。

p293
電報は、サムエル・フィンリー・ブレッセ・モールス(1791-1872)が発明した。最初の電文は 1844 年5月 24 日、モールス自身が打った「神ハ何ヲ為シ給ウヤ」というものであった。

p296
結婚の強要は性的暴力以外の何ものでもない。

p305
あらゆる時代を通じて最も有名な、文学上の登場人物であるシャーロック・ホームズとワトスン医師の二人は、作者が弱冠 25 歳の時に登場したのである。

p306
アーサー・コナン・ドイルも自らの作品の中で、ロンドンを描くに当たっては[…]かつて自分が過ごしたことのある場所の様々な要素を組み合わせて描いていったのである。

p311
コナン・ドイルも悲劇を書き込んでいく際、喜劇的小事件の挿入が、非常に効果的であることを熟知していたのである。

p326
《緋色の習作》では復讐のための決闘は、丸薬を決闘の武器とする必要があった。

pp328-329
ホームズ自身が、自らの手柄話を物語るわけにはいかない。引き立て役としての凡人の仲間__活動的な教養ある人物で、共に事件に加わり、物語の語り部を務める__は欠かせない。

p363
ドイルは短篇1作を平均 10 日で書き上げたのであった。

> 本記事のタイトルとURL をコピーする <