[読書メモ]『kotoba 2019 年夏号「シャーロック・ホームズとコナン・ドイル」』

p11
「頭を使っていないと、生きている気がしない。ほかにどんな生きがいがあるていうんだ?」__ホームズは『四つの署名』の中でこう言い放ちます。

p15
シャーロック・ホームズだけでなく、ジェームズ・ボンドやポワロなどのキャラクターを使って、有名作家に新しいものを書かせてベストセラーを出すという考えは、いささか安っぽく、品のないアイデアです。

p16
私が書いたもので、誰もが幸せな気持ちになった数少ない作品の一つです。

p18
私は幼いころ不幸でした。非常に特異な子ども時代を送りました。そんな私にとって、小説は大きな意味をもっていました。逃避する場所だったのです。

p18
少年のころ私は、これらの作品にある、世界のどこにいてもミステリーやサスペンスの舞台になるという考えが好きでした。インドの歴史的都市から、アメリカの地方都市、そしてロンドンの最も退屈な郊外に至るまで、場所に関係なく、ミステリーは起こりえます。そういう感覚が好きで、そういう本に魅せられたのです。

p21
__どうやってそれだけたくさんの本を書きながら、筋を忘れないで書き続けることができるのでしょうか。何か秘密があるのでしょうか。
ホロヴィッツ 秘密などありません。他に何もしないで、ただそれだけに集中するだけです。

p21
私にとって読書は自分の安らぎを覚えるところです。そして執筆は私の人生を見つけるところです。

p22
僕はヒーローの条件の一つに孤独であるということがあると、常々考えていました。いざというときに一人で戦えなかったり、事件を解決できなかったりということがあっては、ヒーローとは言えない。

p26
いつしか私は自分がベイカー街に住んでいるさまを空想するようになっていました。

p27
10 代の頃の私は、山に囲まれた田舎で暮らすことに、うっすらとした閉塞感を抱いていました。しかし、ホームズの物語は私に「本を読むことで、自分は時空を超えてどこにでも繋がることができる」という体験を与えてくれたのです。

p29
類稀なる才能の持ち主は、人間としてはどこかバランスを欠くことが多く、支えてくれる相棒が必要になります。相棒の存在は社会との橋渡しとなり、特異な才能の凄みを引き立たせてもくれる。そのような存在抜きには物語がなかなか安定しないので、多くの作品で「相棒」が生み出されました。 その源流であるワトスンは、やはり際立ったキャラクターだと思います。

p41
ホームズは「映画・テレビ化された人間のキャラクターとしては最多」であるとギネス世界記録に認定された(人間以外の最多はドラキュラ)。

p46
簡単に言えば、真面目なものがパスティーシュ、茶化したり別要素を導入したりして楽しむものがパロディ、というところでしょうか。今で言う「二次創作」が、その両者を包含すると思います。

p64
しかし残念ながら、正典を論理パズルとして楽しむのは難しい。なぜなら、ほとんどのホームズ物語では、犯人を特定するために必要なすべての題材が読者に与えられているわけではないため、パズルとして機能しないからだ。

p67
極度に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかなくなってきた。

p71
引退後はサセックス州サウス・ダウンズで、希望どおり研究三昧の生活を送ったことでしょう。

p73
売ることを第一目標とする出版社は、当然ながら “今の時代の読者” に向いた訳文を求めてくるわけで、翻訳家がその要求に応えるのも、また自然の成り行きと言えるからだ。

p74
注釈付き全集の翻訳はジレンマを含んでいる。小説の翻訳は逐語訳を嫌うのに、注釈を生かすために逐語訳を導入しなくてはならないケースが数多く出てくるのだ。

p89
けっして上から教えようとしない、斜めから気づかせるという手法です。受け取る側の知性を信頼し、解釈の楽しみを残しているのですね。

p90
当時、ロンドンの 20 〜 50 代の女性の5人に1人が娼婦だったと言われています。

p90
black sheep という表現もあります。白い羊の群れに黒い羊が1頭いたら目立ちますよね。black sheep も「変わり者」や「厄介者」の意味で使われることが多いのですが、それが転じて「かっこいい」の意味になることがあります。

p100
ドイルが信じるもののために立ち上がったということに関しては尊敬に値すると思います。

p101
彼は「自分の生きたいように生きるんだ」と宣言したわけです。この時代では珍しいことだったのです。

p101
ドイルは1日に1万語を書くときもあったと伝えられています

p105
出版社に送りつけてもすぐに戻ってくる原稿を称して「紙のブーメラン paper boomberangs」と言っている

p105
ドイルの文字は几帳面だが、それでも読み解くのは難しいのだ。

p106
当時のイギリスの成年年齢は 21 歳

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