なぜシャーマン氏はホームズを「シャーロックさん」と呼んだか

ホームズに肩書きがないことについて書きましたました。

肩書きがないのがホームズの魅力 – Sherlock Holmes Topia
sh-topia.com/2020/01/07/holmes-without-title/

肩書きに関連して、前から思っていたことがあります。

『四人の署名』でワトソンがシャーマン氏という人に犬を借りに行くシーンがあります。

「しかしシャーロック・ホームズさんの使いで__」言いかけたとたん、この言葉がまるで魔法のように作用した。いきなりぴしゃりと窓がしまったかと思うと、まもなくドアのかんぬきがはずされ、扉がひらかれた。シャーマン氏というのは、ひょろりと痩せた老人で、背中は丸く、首は筋ばり、目には青い色つきの眼鏡をかけている。
シャーロックさんのご友人なら、いつだって歓迎しますさ」と言う。『四人の署名』(深町眞理子 訳、創元推理文庫:p86)

同じ部分の原文は以下のようになります。

“Mr. Sherlock Holmes—” I began, but the words had a most magical effect, for the window instantly slammed down, and within a minute the door was unbarred and open. Mr. Sherman was a lanky, lean old man, with stooping shoulders, a stringy neck, and blue-tinted glasses.
“A friend of Mr. Sherlock is always welcome,” said he.

ここでシャーマン氏がホームズを「シャーロックさん/Mr. Sherlock」と呼んでおり、これはホームズとシャーマン氏が「特別な関係」だったからだという考えがあります。

詳しい注でおなじみの『詳注版シャーロック・ホームズ全集〈5〉』(筑摩書房・ちくま文庫、1997:p140)の中にも以下のような注が書かれています。

バーナード・デイヴィス氏は「ホームズはロンドンっ子だったか」で次のように述べている。「シャーマン老人が、ホームズのことを『さん』の敬称をつけてはいるが洗礼名で呼ぶ唯一の人である__兄のマイクロフトを除いては__ことは注目すべき事柄である。1880 年代、ロウワー・ケンジントン・レインのテムズ河岸近く、ナイツ・プレイスからはすぐの所にいた動物商が、このシャーマン老人のモデルであろうと思われる。」小生 [Sherlock Holmes Topia 注:ベアリング=グールドのこと] およびその他の注釈家たちは、これはホームズが少なくとも少年時代をロンドン南部地区で過ごした証拠であるとしている。「当時のホームズは、体こそやせていたが探究心が強くて、老人が鳥や獣の皮をはいだり、石膏に足跡の形をつけるのを手伝い、これをアルバイトとして、老人に毒蛇やまむしの毒性などについて聞いたりして次から次へと質問をした。」(『ベイカー街のシャーロック・ホームズ』)

やや誇大妄想の部分はさておき、たしかに原文の電子書籍で全文検索しても、Mr. Sherlock という呼び方はこの一回切りです。兄のマイクロフトがホームズをシャーロックと呼ぶのは兄弟なので納得いきます。

でも私は「”特別な関係” 説」は違うんじゃないかなと思います。

マイクロフトが Sherlock と呼ぶのはたしかに兄弟なので納得しますが、でも Mr. Sherlock ではなく Sherlock です。だから別問題です。

私はシャーマン氏がシャーロックさんと言った理由は、英文法にヒントがあると考えています。

英語では Mr(その他 Mrs、Miss、Ms なども含む)はファミリーネーム(姓)あるいはフルネーム(名 姓)の前に付けて使われます。

つまり、Mr Bond、Mr James Bond とは言っても、Mr James とは言わないということです。

Mr 名 → NG
Mr 姓 → OK
Mr 名 姓 → OK

以前テレビで日本人がイギリス人の家にホームステイする番組がありました。その時、ホストの男性に対して、”Mr Peter” と言っていて、「文法的に間違っている!」と思いました。まさかここで、この日本人がホストのイギリス人と「特別な関係にある」と思う人はいないでしょう。

そう、「Mr 名」で呼ぶことは英語が分かっていない、あるいは教養がないということを意味するのです。先のシャーマン氏が「シャーロックさん/Mr Sherlock」と呼ぶことで、コナン・ドイルは教養のない老人であることを示したかったのではないか。これが私の説です。

ただ、あえて「Mr 名」を使うことがあります。わざと英語を分かっていないふりをしたり、おどけた表現だったり、ファーストネームで呼ぶことに何らかの意図がある場合です。これは「Mr 名」は文法間違いであることを共有していることが前提となります。

この「Mr 名」を実はホームズ自身が使っています。『緋色の研究』に以下のようなホームズのセリフがあります。

“‘Rache,’ is the German for ‘revenge;’ so don’t lose your time looking for Miss Rachel.”

日本語訳はこちらです。

「”RACHE” というのは、ドイツ語で、“復讐” という意味だよ。だから、いもしないレーチェル嬢を探そうとして、時間を無駄にするのはやめしたほうがいい」
『緋色の研究』(深町眞理子 訳、創元推理文庫:p64)

ここでホームズが Miss Rachel とあえて英語的に間違った表現を使っているのは、皮肉を意図しているんだと思います。「Rache は “概念” であり、Miss が付くような ”人” じゃないよ」ということです。深町眞理子さんの翻訳ではそのあたりのニュアンスが出ていません。

ちなみに、『バスカヴィル家の犬』を読んだ時に気付きましたが、Sir(サー)に関しては Mr とは文法が異なります。

Sir 名 → OK
Sir 姓 → NG
Sir 名 姓 → OK

表にまとめると以下のようになります。

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私の「シャーマン氏教養なし説」は結構いい線をいっていると思うのですが、同じことを言う/書いている人を見たことがないのです・・・。

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