「バスカヴィル家の犬」の感想メモ

前回のエントリーで「バスカヴィル家の犬」の読書会に参加したことを書きました。

[読書会論]「バスカヴィル家の犬」読書会に参加してきました – Sherlock Holmes Topia
sh-topia.com/2020/02/23/bookclub-of-the-hound-of-the-baskervilles/

その時も触れましたが、発言するのが難しいスタイルの読書会でした。せっかくなので読書会までに考えていた「バスカヴィル家の犬」の感想をメモしておこうと思います。

今回の読書会は、ゲストの日暮雅通さんが翻訳された光文社新書版の「バスカヴィル家の犬」が課題作品でした。光文社新書でホームズ物語を読むのは初めてでした。まずカバーの手触りがエンボス加工で気持ちいいですし、同じくカバーに描かれているイラストがかわいい。角川文庫なんかはイラストが全然かわいくないのです。

詳注版として河出書房新社の単行本およびちくま文庫でも読みました。今回思ったのが、河出書房新社版で読むと「著者の視点に立てる」ことです。著者の視点に立って読むことが読書の醍醐味だと思っています。自分の視点を離れなかったら読書の意味がありません。河出書房新社の単行本は特に注や解説がドイル研究の立場から書かれており、コナン・ドイルがどういう気持ちで本作を書いたのかが分かります。「コナン・ドイルはこういう風に思いながら書いたんだな」と考えながら読むと、また「バスカヴィル家の犬」を深く読めた気がしました。「著者の視点に立って読む」というのは、特にフィクションだと忘れがちな考えなので(「主人公の立場に立って・・・」と考えてしまうので)、今回フィクションを読む姿勢が自分の中で変化してよかったです。

「バスカヴィル家の犬」は過去に何度も読んできた本ですし、今回もいろいろな出版社で読み比べたせいで、話の筋についてはあまりツッコミを入れることなく特にスッと飲み込めました。何度も読んで作品の世界に浸かると、批判精神がなくなるのかもしれません。

でも、人物に着目するといろいろ言いたいことがあります。

以前読んだときはモーティマー医師が真犯人なのではと思っていました。ホームズのところに依頼しに来た動機が弱いからです。ちくま文庫版には、隔世遺伝の専門家がステープルトンの正体に気付かないわけがないし、靴に自然とアクセスできる人物はモーティマー医師のみなので、モーティマー医師はステープルトンの共犯者であると書かれています。ただ、今回よくよく原典を見るとモーティマー医師は遺言委託執行人であると書かれています。そうい立場なら確かにホームズの所に依頼に来ても不自然ではないなと分かりました。

ローラ・ライオンズはつくづく男運が悪い女性だなあと思いました。今の夫はダメ男だし、次に乗り換えようとしている男がステープルトンです。父親が毒親であることが原因なのかもしれないと考えたりしました。

「ここでの生活は楽しいよね」と聞かれたベリルが「楽しいわ」と心のこもっていない返事をしたり(p139)、「ここの生活は退屈じゃないですか」と聞かれて慌てて「退屈じゃないですわ!!」と返事をしたり(p140)しています。嘘をつけないタイプですね。サラリーマン時代に飲み会で「楽しんでるかい?」と聞かれて、「はい__」と死んだ目で答えていた自分を思い出しました。

サー・ヘンリーは一見勇敢に見えて、実は頼りないと分かりました。「ホームズさんがここにいたら、どうするでしょうね」(p161)、「ホームズさんは何とおっしゃるでしょうね?」(p180)、「いかがでしょうね、ワトスン先生?」(p195)とやたらとホームズやワトスンの意見を気にしています!

そのサー・ヘンリーと対照的なのがホームズです。ホームズは全然「ホウレンソウ」してません。ワトスンに同行してもらおうと突然言い出したり、セルデンの死後突然「ロンドンに帰る」と言い出したり、小説の最後の最後でコンサートのすでに予約をしていることを告げています。それぐらいワトスンに事前に伝達しようよ__。普通の人なら「聞いてないよ〜」と(ダチョウ倶楽部風に)言うはずですが、ワトスンは内心動揺しつつ何も言いません。冷静沈着なイギリス人なのかもしれません。しかもワトスンは、「職業上の警戒心ゆえにホームズは事前に打ち明けないのだ」とホームズの代わりに弁明しています。ワトスンは忠実なパートナーです。

ワトスンが「一晩にして疑問が解決したよ__あ、実は二晩掛かったんだけどね」と、珍しく一人でボケてツッコんでいるところがかわいいです。

ワトスンは今回はホームズなしでも結構頑張っています。そう考えるとホームズのワトスンに対する扱いが「ひどいなあ」と思わずにはいられません。冒頭のステッキの推理シーンで、ホームズは一見ワトスンを褒めますが、あれはよくよく読むとひどいことを言っています。「君は引き立て役にすぎないよ」ということですから。しかもワトスンは最初普通に喜んでしまいますが、その次にボロクソ言わます。ホームズは、ワトスンを持ち上げておいて突き落とすようなひどいことをしているわけです。ちくま文庫の注には、「ワトソンはしょっちゅうひどいことをホームズに言われているが、それに耐えられるほど二人の友情は固い」と書いてありますが、私はホームズはいじめすぎだと思います。

それとホームズは結構負けず嫌いなシーンが何度かありました。ワトスンがホームズに絵の知識がないくせに絵について語っていると書いていますが(p81)、あとにホームズが「そんなことはない」と言ってます(p262)。また、ワトスンが見事に捜査をしたことを褒めたかと思いきや、「僕も独自に同じ結論に達していたもん!」と言っています(p310)。少しはワトスンに花を持たせてあげようよ__。

そういうホームズの推理だってちょっといい加減なところもあります。「古文書の年代推定は 10 年程度の誤差でできなくちゃ専門家じゃない」と言いつつ(p23)、12 年ずれて推理していました。結構ギリギリセーフのずれです! 一番納得いかないのが、人が未来に何をするかは分からないと言っていることです(p314)。未来に何をするかを推理するのも探偵の仕事だと思います。これまでも何度も未来に起こることを見越して事件を解決してきたじゃないですか。

このように、ホームズにはちょっと苛立ちを感じてしまいました。ただ、ローラ・ライオンズに話を聞きに行く際に、ワトスンがうまく聞き出せなかったことを、ホームズは上手に聞き出しているのはうまいなと思いました。

ステープルトンはサー・ヘンリーとベリルが密会をしている際に怒って割り込んできました。莫大な遺産が手に入るんだから、それぐらい我慢すればいいのにと以前は思っていました。

参考:
『バスカヴィル家の犬』遺産額計算 – Sherlock Holmes Topia
sh-topia.com/2020/02/08/money-in-the-hound-of-the-baskervilles/

しかし、私は新たな見方があると気付きました。ステープルトンの本当の欲望は「人を支配すること」にあったのではないか、と。自分が人を支配できないことは、遺産を手に入れられないこと以上に我慢できないのかもしれない、と思うようになりました。

ステープルトンは特にワトスンの描写でもハンサムだとは書かれていなかったと思いますが、ベリルに(途中までは)愛されていたり、ローラ・ライオンズとの結婚まで行きそうになっています。ステープルトンはおそらく話術で巧みに人を操ったんだと思います。話術の怖さと関連して、ジェイク・ジレンホール主演の映画『ナイトクローラー』を思い出しました。

その他細かいコメントです。

サー・チャールズが待っていた時間を葉巻の灰の量で推測することについて、吸う速度で時間は変わってくるんじゃないかなと思ったりしました。私はパイプスモーカーですが、ゆっくり吸うのと急いで吸うのでは、葉が灰になるスピードがずいぶん違います。

また、セルデンが死んだ後ホームズとステープルトンが対面しますが、あのお互いが探りを入れるぎこちない会話が、(いい意味で)いや〜な感じがしました。このあたりのコナン・ドイルの描写はうまいなと思いました。

サー・チャールズの犯行現場を図示しようと試みもしてみましたが、描写が曖昧な部分があり途中で断念しました。

ピエール・バイヤールの “Sherlock Holmes was Wrong” という、「バスカヴィル家の犬」を批判した本の原書オーディオブックを読書会前に聴きました。結構鋭いことをバイヤールは言っています。たとえば、もし犬がサー・チャールズに噛んでいたら、動物の噛み跡で警察が大規模な捜査をしていたのでバレていたのではないか、という考えにはなるほどと思いました。

またバイヤールによると、ロンドンの謎のヒゲ男の正体について、身長に着目するとバリモアだけでなく、ベリル(!)も犯人の可能性があるそうです。ベイカー街に呼び出された御者が「ヒゲ男の身長ははホームズの2、3インチ低かった」と言っています(p99)。ホームズは別の作品の描写から身長 185 センチぐらいあると予想される、かなりの高身長です。だから謎のヒゲ男もかなり高めです。でも、ステープルトンはワトソンが「小柄」と書いています(p124)。身長から考えると、謎のヒゲ男はステープルトンではなさそう。そしてたしかにバリモアは「長身の男」(p112)ですが、ベリルも「背が高い」(p134)と表現されています。ベリルが付けヒゲで変装していたのかもしれません。バイヤールはその後ベリル犯人説を強く主張しているので面白いです。

もし本作に関して他の方の意見を聞きたいとしたら、バリモア夫婦がセルデンのことを告白した後、ワトスンとサー・ヘンリーがセルデンを捕まえに行ったことは正しかったか、ということです。私はかわいそうだから行かなくても良かったんじゃないかなと思ってしまいました。

セルデンを追跡に行った後、バリモアに責められましたが、「バリモアは奥さんに言われたから仕方なく告白しただけだ」とサー・ヘンリーは反論しています。この反論もどうなんでしょう。私は言わされたからどうかは関係ないような気がします。

こういう感じで、「バスカヴィル家の犬」をじっくり読んでいろいろ考えることができました。

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